「夢中」と「努力」の違い
よく成功した人の話の中で、
「夢中になってやっていたらここまできた」
というようなエピソードを聞く。
何かである程度の成功を勝ち取るためには、夢中になれるもの、興味を持てるものを見つけることが大事だと思う。
公務員を辞めてから色々やっているが、それを続けるかどうか決める基準として、
- 興味を持ってやれているのか
- 夢中になれているのか
自分に問いかけてみるようにしている。
「夢中」と「努力」の違いについて改めて考えてみたい。
努力は夢中に勝てない
何かを「夢中」になってやっている人は、
「頑張っている」
という感覚がないので、興味が続く限りそれを続けることができる。
それも楽しく。
ゲームにハマるのと同じような感じ。
ただ、一方で「努力」は明確に目標や目標を決めて、自分を鼓舞して取り組むもの。
そのため、目標を見失ったり、頑張っても報われないと感じた時に挫折してしまうことがある。
結局、努力は夢中には勝てないと思う。
夢中になれるものを見つける
30代にもなって、「夢中になれるものを見つける」とか言っていることについて、マイナスにとられることもある。
ただ、人生100年時代と考えると、30代なんてまだまだだ。
仮に定年制で考えても65歳までまだ30年以上。
せっかくこの世に生まれたからには、自分の人生をより良いものにするためにはどうしたらいいか。
その先に人の役に立つことができてくるのかなと思う。